学び舎に込めた想い
教育への想い
開塾までの経緯
教育は「教え育てる」と書きますが、それは教育の本当の意味ではありません。
根本には学習があって教育は子どもが育つのを助ける立場にあるのが本来の姿です。教育が中心ではなくて、まず子ども一人ひとりの学習がある。
すなわち、教育は子ども一人ひとりの持ち味を引き出すためにあります。
学校教育のほとんどが対症療法になっているのを目の当たりにして、ひとりで教育改革を始める他に道はないと考えました。教師の職を辞して、私塾を開く前に、塾の講師を3年間しました。
多くの塾では子どもたちに無駄な知識の詰め込みや、機械的な練習を強制的にさせます。そういうやり方では、「子どもたちが自ら学んで、自ら伸びていく力」を殺がれ、言われたことだけを従順に勉強するだけで、自分で判断して行動できなくなってしまいます。
自分が「何をしたいのか」がわからない大学生が増えています。これは子どもを他律的に勉強させた大人の責任です。
ほとんどの塾は、競争的な環境に子どもたちを置いて、テストですぐ役立つ学力を求めます。
しかし、世の中はどんどん変わっていきますから、すぐに役立つ薄っぺらな学力はすぐに役に立たなくなります。
それよりも、長い目で見て将来的に役立つ学力を身につけた子どもを育てたいという想いから、1996年6月に塾を開きました。
学び舎に込めた想い
教師という仕事は子どもの生命に関わっているという点において、本来、実に質の高い仕事です。
人間は一人ひとり設計図を持っています。その設計図に従って、子どもは個性豊かな人間になろうとしています。
それを励まし、手助けするのが教育の本来の姿です。
子どもは生まれつき、学ぶ能力を持っています。子どもが生来持っている喜んで学ぶという能力を抑え込んで、無理に教え込もうとする人がいますが、そうやって育てられた子どもはゆがんだ頭でっかちの人間になってしまいます。学ぶことを生きることと離して、頭の中へ詰め込まれた子どもは、本当の人生を生きられなくなります。
他人から課題を与えられるのではなく、自分で課題を見つけて新しいことに挑戦していく。これこそが生きる力をはぐくみます。読書でも勉強でもスポーツでも、芸術でも、人からやらされていては、本当の力は身につきません。子どもたちは得意不得意も能力も関心も様々です。そんな子どもたちを均質化して管理することに何の意味もありません。
競争に強いばかりが強さではありません。
「挫折があっても諦めない」「失敗しても成功するまで続ければ良い」「現状が上手くいっていなくても、未来を待つ」という、じっと耐える強さも、また強さなのです。
こんな子どもを育てたい
わかるように教えてばかりいると、子どもの「自分で理解しようとする力」が育ちません。教えない方が子どもが強く育つ場合があります。すぐに理解できないことも諦めずに考え続けていれば、わかるときが来ます。
全てを教えるのではなく、子どもが自分で考えて、自分の力で解決する部分を残しておくと、子どもは自分一人で学ぼうとします。自分で考えてわかったとき、子どもは大きく成長します。
学ぶことは生きることに通じます。幸せな生き方を人から教えてもらおうと思ってはいけません。それは自分で見つけなくてはいけません。
何でも教えて貰えば良いと思うのは悪い癖です。
まだ教えて貰ったことがないからとか、まだ習っていないからと言い逃れをするのはよくありません。何でも自分でつかまえていくのです。誰かに与えて貰えると思うのは横着な考えです。当たり前だと思ってはだめです。手取り足取り教えられたようにやっていればいい、人から教えてもらったことだけをただ守っていれば良いなどと考えていては力は伸びません。
自分で考えて、自分で取り入れて、自分で人生を工夫する。
考える力を放棄してしまってはいけません。あらゆる生き物は自分で変わる力、自分を変える力を持っています。親や教師がお膳立てをすれば、子どもの変わろうとする力が強く働きません。
自分の力でたどりついた道でないと、困難にぶつかったとき、そこで立ち往生してしまいます。
中学校を卒業するまでに、自分でやることを決めて、自分の頭で考えて勉強する習慣を身につける。
そして心の強い自律した人間になることが学び舎の子どもたちの目標です。
塾経営25年
大人も子どもも自分で考えること、学ぶことが少なくなっています。
考えるということは、試験の問題を考えるように出された問題を解くために考えるだけではありません。
考えるということは、普段の生活の中で自分の知っていることや感じたことに基づいて、筋道を立てて、頭を働かせることです。
出された課題をしているだけでは、与えられた物だけをやっていることになります。人から与えられたものだけでなく、自分が面白いと思ってのめり込んでいくのが本当の学びです。
教育の将来
これからの教育
子どもが自分で考えようとし、自分のやり方を見つけ出していく環境を作ることです。
親や教師はいちいち細かいことに手を出さずに、子どもに試行錯誤させるのです。
手助けするのは、簡単でしょう。しかし、あえてそれをせずに子どもに自分でつかませようとするのです。
子どもが自律する過程において、厳しさや距離感が子どもに大きな影響力をもちます。子どもは、手出しされないほうが自分を発揮しやすいこともあります。
自立する力は子どもが自分で模索してつかみ取るしかないのです。
ゆとりを持って、心身を良い状態に保てることが幸福で自分らしく有意義な人生につながります。
子どもの教育にも、このことは当てはまります。
小さい頃から勉強をやらせすぎると、主体的な意欲がない子どもに育ちます。
子どもが疲れている状態は絶対に避けなければなりません。やらせすぎず、もっとやりたいという余力を残すことが、子どもを病まさずに可能性を伸ばすうえで、非常に重要です。