国内最難の岩稜へ
北アルプス槍穂縦走
去年になりますが、9月のはじめに北アルプスを縦走しました。
始終、気の抜けない岩稜帯です。同じ8月前半に行った藪とは打って変わって灰色の岩の世界が続きました。瑞々しい藪の世界ではなく、生命の気配がない岩の世界でした。
準備、そして出発
奥穂高岳から西穂高岳に続くルートは「登山道では最難関」と言われています。
山行計画が現実味を帯びたのは山の雑誌にこのコースが紹介されてからです。危険個所の概要も載っており、参考になりました。そして、今の自分なら「充分行ける」と感じました。初夏のハードな藪漕ぎで相当な筋力がつきましたし、夏合宿も藪のため、体力増強が期待できました。幕営装備を背負った状況で一番安全に行くとすれば、今しか考えられませんでした。
ちょうど台風が上陸していましたが、この台風が抜ければ天気も落ち着きそうです。行くと決めたらすぐさま帰京の準備に取り掛かりました。
泉南の実家を出て東京のアパートに戻ったのは出発前日の夜でした。ここから食料を買いに行き、山の準備をして…。寝る暇もなく始発列車で長野へ向かいます。昼過ぎに上高地に着きましたが、台風の影響が残っており風は強めでした。
岩峰を越えて
2日目から岩の世界に入りました。
台風一過の快晴の下、槍ヶ岳(3180m)の頂上からは隅々の山を見渡すことが出来ました。その日は槍と穂高の中間にある南岳(3033m)で幕営しました。焼けるように赤く染まった穂高の岩壁が美しい夕方でした。
3日目は最初の難所と言われている大キレットを通過します。
細い稜線が一気に300mも切れ落ちています。再び400mほど高度を上げると北穂(3106m)に到着です。5年前に来たときは非情にも雨とガスでしたが、今回は景色もよく大満足です。端正な槍ヶ岳、今登ってきた大キレット、これから行く奥穂、西穂への稜線が続いています。しばし休んだ後、涸沢岳(3103m)を越えた先にテントを張りました。常念山脈~前穂・奥穂・ジャンダルムがテントの中からでも見える一等地でした。実家から持ってきた雑誌8ページ分のコピーを引っ張り出して明日行くルートの予習をして過ごしました。すべての地形、危険個所を頭に入れます。表現が悪いですが、入試前のイメージトレーニングに似たことをしました。この日も快晴で気持ちの良い一日でした。
国内最難の岩稜へ
このルートへ入る前夜、初めて天候が悪化しました。
風が吹き荒れました。濃霧でテントの外は真っ白です。強風で前室の固定を外されたので張綱を確認し、石を積みました。夜中にこんな作業をするのは億劫です。熟睡からは程遠い夜でした。
翌朝は3時過ぎに起き、簡単な朝食を済ませると出発の準備に取り掛かります。
流れる雲の切れ目から星が覗いていました。ヘッドライトを灯し、まずは日本第三の高峰、奥穂(3193m)を目指します。山頂に着く直前に日の出を迎えました。ガスが晴れて今まで歩いてきた稜線が一望できます。
奥穂から先はいよいよ最難ルートです。
馬の背・ロバの耳・ジャンダルム(3163m)…など難所が続きます。少しの油断や判断ミスがそのまま命に関わることだって珍しくはありません。自分の気力と自信を頼って足を踏み入れました。
山旅は続く
予定より早く西穂(2909m)に着いたため先へ進みます。早足で歩いて、焼岳(2444m)に登頂後、上高地に下りたのは日没後でした。
翌日は徳本峠に一泊し、霞沢岳(2646m)に登ります。多くの登山者は槍穂に惹かれ、梓川を挟んで対岸にある霞沢岳など目もくれないでしょう。私以外に登山者はおらず、静かな登山を楽しめました。穂高連峰の展望が素晴らしく、今までの山旅を振り返るには最適の場所でした。
本来はこのまま常念山脈を4日ほどかけて北上する予定でしたが、携帯電話とデジカメの電池が無くなりましたので、今回はこの辺で下りるとしましょう。全日程が快晴で十分満足。また次回です。
山に入る心構え
幼いころから山に親しんできた私にとって、山は友達です。
ですから、山に対して攻略とか挑戦とか制覇とかいった気持ちで臨むことは決してありませんし、そのような言葉も聞きたくありません。
山行を成功させるにはいくつかの条件が必要です。
私にとってその条件とは、自信・経験・体力・技術・天気、そして運です。自信・体力・技術は経験を積めば向上できます。経験が豊富なら運も良いと感じます。天気は運のうちでしょう。