心をこめて生きる
明るく朗らかに積極的に生きる
心の持ち方で人生はつくられます。健康も運命も、心の持ち方で決まります。積極的な方向に心を持つのと消極的な方向に心を持つのとは天と地ほどの違いがあります。思い方や考え方が積極的か消極的かという態度に応じて、人生が良くなったり悪くなったりします。人生は心の態度のとおりになります。
気持ちが明るくなって朗らかになって活き活きとして勇ましくなると、病気が治って健康を回復し、運命も良くなります。ところが、心配、迷い、苦しみ、悲しみ、怒り、恐れというような消極的な気持ちを持つと、その気持ちが心の働きを妨害します。
人生を生きるときに少しでも消極的になったり、気弱になったり、進んで新しいことに取り組もうとする意気込みがなかったり、思い切りが悪くぐずぐずしていたり、引っ込み思案になったり、憂鬱な気持ちになったりすると、その気持ちが心を乱します。
「失望した場合でも『幸福だ』と思え、幸福でなくても幸福のような振りをしろ」という意味です。幸福になるのには、まず自分の心をそうあるようにしなければなりません。怒り、悲しみ、恐れ、憎しみ、悩みという気持ちは、幸福を破壊しますが、喜びと感謝の気持ちは、進化と向上を促し、明朗溌剌、明るく朗らかに活き活きと勇ましい気持ちになります。
完全に生きる
一生懸命勉強しているのは、自分が偉くなるためではありません。生きている限りは、広く深く学んで、「人生の視野を広げることが自分に対する義務だ」と思います。生きている間は、一日一分でも「完全に生きよう」とする意志を実行に移していきます。
誰でもひとかどの人間になれます。誰でも成功できます。誰でも優れた偉大さを発揮することができます。できないのは、「熱意と誠意が大事だ」ということを知らない人です。「上手になれる」と思って練習します。上手になれるに決まっています。「上手になるんだ」という気持ちで、毎日練習するのです。
勇気は常に勝利をもたらし、恐怖は常に敗北を招きます。この世の中の出来事には、自分が恐れるほどの恐ろしいことは滅多にありません。胆力のある人は、どんな境遇になっても、自分以外の人間や神や仏に頼りません。神仏というものは崇めるべきもの、尊ぶべきもの、尊敬するべきもので、頼るべきものではありません。宮本武蔵は「独行道」の中に、「仏神は尊し、仏神をたのまず」と書いています。
否定の言葉や悲観の言葉、人生をマイナスにするような言葉は、自分の中にはないように考えるのが一番いいです。自分をつくり上げるものは自分の努力です。その努力は自分の情熱と誠実に比例します。
「私は駄目だ」とか「僕はアカン」とかというような自己否定をしてはいけません。「私は立派な価値を持っているんだ。だから私は自分を研ぎ上げるんだ、磨き上げるんだ」という気持ちを奮い起こすのです。
私たちは、完全に生きるために生まれてきたのです。
心をこめて生きる
- 意識が変われば、言葉が変わります。
- 言葉が変われば、態度が変わります。
- 態度が変われば、行動が変わります。
- 行動が変われば、習慣が変わります。
- 習慣が変われば、人格が変わります。
- 人格が変われば、運命が変わります。
人が日常を生きるときの心の態度が、その人自身の運命を良くも悪くもします。まず心の中を喜びと感謝でいっぱいにします。そうすると、口をついて出る言葉は自然と良い言葉になり、行いは良い行為になります。人が心の中に、何の煩いも持たず、常に喜びに満ちて、感謝に満ちていると、尊い気持ちが生まれてきます。
些細なことでも嬉しいこと、喜ばしいことは、ああ嬉しい、ああ喜ばしいと表現し、憎いことや悲しいことや怒ることなどは、「こんなことで怒ってたまるか」とか「こんなことで悲しんでたまるか」というふうに、言葉で打ち消してしまいます。
物事をするときに、心をこめてやっていれば、長い年月の間に、その人の心が持っている観察力や連想力や記憶力をぐんぐん豊かにしてくれます。そうすると、今まで全然わからなかったことが、わかるようになってきます。
「簡単に得たものは簡単に失い易い」という意味です。世の中には努力なしに得られるものは何一つありません。世に天才はないというのが歴史的教訓です。仮に天才と言われるほどの人があるとするならば、その人は超人的努力をした人です。