教師とは 底力と胆力
学び舎通信 163
教師とは
教育に対する高遠な理想を抱いた教師は殆どいなくなり、教育環境は年々悪化しています。
取り分け塾業界は、保身に汲々して資本家に隷従する講師ばかりになるという酷い有様です。彼らは子どもたちに徒に大量の宿題を与え、テストによって無意味な競争を煽るという体たらくです。
そんな中で、御しがたく独立自尊の精神を持っている人は、子どもを蔑ろにして利益を追求する大手塾に憤り、決然と奮起して個人塾を開きます。
真の教師は、形にこだわることが嫌いで、決められたレールの上を進むことに嫌悪感を抱き、「この世に生きる意味合いは何なのか」を自問し続けます。力の強い者に従うことを忌み嫌い、弱い立場の人を支配しようとする体制に対して反抗心が強く、正義感が強く、そのことで苦難に陥ることがあっても挫けません。「滅多なことで他者に助けを求めてはならない。求めたところで助けてはもらえない。自分で何とかするしかない。独力で生きていく中に、真の自由と真の感動とがある」ことを知っています。
本物の教師を目指す人は、嘘をつかず正直であること、真面目に努力すること、すぐに諦めないで粘り強く頑張ること、他人に迷惑をかけないこと、自主自立の気概を持って何事も自分の判断と責任で行うことを、子どもの前で身をもって実践しています。
底力
生きていれば、数々の苦難や危機に直面します。しかし、私たちの体の内に具わっている力を発揮すれば、危機に立ち向かい乗り越えることができます。
簡単に諦めてはいけません。粘り強く、難儀な出来事にしつこいほど挑んでいけば、どうにかなってしまうことは、思いのほか多いです。
すっかり力尽き、虚しさを感じ、続けてきた努力が中途で挫けてしまい、駄目になりかけたときでも、ギブアップさえしなければ、突然、思いもよらないところに道が開けることが往々にしてあります。
どのような悲惨な状況に陥った場合であっても、どのようにしてその深刻な事態と陽気に接していられるかどうかが鍵になります。
夢や成功を失う苦しみを想像しないこと。事の決着を素早くつけようとしないこと。苦悩の形相は意識的に避けること。空元気を張って明るく振る舞うこと。そうすれば、ふっくらとした気持ちになって、そのうちひとりでに危機に立ち向かう勇気がふつふつと湧いてきます。これが底力です。
しかし、意識の奥底にあるこの奇跡的な回復力は、出そうと思っても出せるものではありません。底力は、ある日、ある時、突如として発揮される、秘められた、摩訶不思議な力なのです。
これは火事場の馬鹿力とも言われますが、この力は思いがけない出来事や乗り越えがたい困難に備えて、全ての人に用意されています。というより、この世に生きる全ての命に授けられています。私たちの内面に潜む底力は、計測不可能なほど偉大です。
胆力
何事にも恐れない、気持ちが怯まない、雰囲気に圧倒されて尻込みしない、こういう力を胆力と言います。これは度胸とか肝っ玉とも呼ばれています。
学び舎では、学習を通じて胆力を鍛錬しています。
子どもが自分で課題を見つけて、学習計画を立てて、立てた計画を実行して、その結果を自己評価する力を育むことを目的にしています。そのために、行動を細かく指示していません。
また、子どもが試行錯誤しながら自分に合った学習法を見つけ出し、さらに工夫してより良い学習法を編み出す力を養うことを目的にしています。そのために、型にはまった学習法を強制していません。
そして、子どもが自分で問題の解決法を探し出し、解決していく力を鍛えることを目的にしています。
そのために、余計な口出しや手出しを控えています。
このように接していると、子どもは生来の学習能力を駆使し、自分独りの力で考え始めます。
ところが、大人が下手に管理したり、甘やかしたりすると、子どもは大人に頼ったり、我儘になったりして、持ち前の学習能力を発揮しようとしなくなります。こういう育て方をすれば、子どもの内に潜んでいる成長の芽が大きく強く育たなくなります。
学び舎の卒業生が目覚ましく力を伸ばす理由は、縋る人を求めるのではなく、自分の進む道を勇猛果敢に独力で切り開いていく訓練をしたからです。 学力を向上させるためのstep6が底力と胆力ですが、自堕落な生活をしていると、独立独歩の気骨が弱まり、この2つの力は低下します。