生きる力を鍛える
学び舎通信 166
一生懸命、素直に生きる
ただ毎日毎日、少しずつ進んでいけばいいのです。大きくジャンプしなくてもいいのです。
誰かに頼ろうとしないことです。誰かに助けを求めるのではなく、自分で一歩一歩進むのです。
人生には苦しいこともあるし、「嘘だろ」と言いたくなるほど辛いこともあります。
しかし、神様は無理な宿題は出しません。その人に与えられた宿題は、その人自身が解決できるものなのです。
乗り越えようなんて思わなくても、一歩ずつ進んでいけば、いつの間にか乗り越えてしまっています。その時、初めて自分に自信が持てるのだと思います。
焦ってはいけません。
慌ててはいけません。
どんな境遇も受け入れるのです。
思いどおりにいかず、苦しくて辛いときも、自分に与えられた境遇を素直に生き抜くのです。
素直に生きていたら、良い境遇も悪い境遇もありません。そこにはただ、一生懸命に生きる場所があるだけです。
境遇が生き方を左右するのではなくて、生き方によって境遇はどんなものにでもなります。一生懸命生きていれば、このことが悟れるはずです。
生きる力を鍛える
アフリカの広い砂漠が真っ黒い雲におおわれるときがあります。砂嵐です。砂嵐は黒い風になって、砂漠を吹き荒れます。砂や石を大量に含んだ突風です。体に当たると痛いし、目も開けていられません。ひどいときには息もできなくなります。
砂漠の一本道の道標の下に、少年がいます。少年は裸足の両足を地面につけ、両膝を抱え込んでうずくまっています。砂嵐が通り過ぎるのを待っているのです。自分で考えて、とった行動なのでしょう。少年は誰にも助けを求めません。少年は幼い時から何度も砂嵐に襲われています。その経験から、「その場にうずくまって待つのがいちばんいい」と判断したのです。
車で通りかかった大人たちは、砂嵐の中でうずくまる少年を助けません。子どものときから、砂嵐に耐える力を身につけさせるためです。そうしなければ、この土地で生きていくのは辛くなるからです。
これは、高倉健さんの『南極のペンギン』という絵本にある「アフリカの少年」を要約したものです。
何事も上辺を眺めているだけでは、本質に迫れません。実際に体験することで、初めて本当のことがわかります。どれほどたくさんの本を読み、インターネットで大量の情報を引き出してみたところで、実体験を伴わないで得られた知識は身につきません。体で悟ったことは生きる力になりますが、頭だけでつかんだ確信はすぐに揺らぎ、生きる力とはなりません。人間がこの世を生きてゆくには、辛抱強い努力と忍耐が必要なのです。
学ぶとは誠実を胸にきざむこと
どんなものでもそうですが、お金儲けだけを目的に大量生産しようとすると、大切なものが確実に失われていきます。
刀匠の宮入小左衛門行平さんは、長野県上田市にある工房で日本刀を作っています。工房の片隅に鉄を溶かす炉と日本刀を打つ鉄床があります。炉から真っ赤に焼けた鉄の塊を取り出して槌で叩きます。叩きながら少しずつ刀の形にしていきます。丁寧に少しずつ叩いていきます。表面温度が1,000度近い鉄の塊をこつこつと叩いては伸ばし、伸ばしては折り曲げ、という地味な作業を繰り返します。
「毎日の仕事ですから力んでやっていたら疲れてしまいます。私が守っているのは晴れていても曇っていても、とにかく毎日、刀を打つということだけです。刀を打ち始めた頃はいい刀を作りたい、賞に入選したい、たくさんお金をもらいたいと考えていました。けれども僕は今、あの仕事場に座っていることが好きなんです。毎日、あそこに座って刀を打つ行為が好きです。僕が刀の中に叩き込んでいる「気」とは相手を威嚇するような攻撃的なものでなく、感謝と祈りです」と宮入さんは言います。
中身は悪くて表面だけをよく見せる鍍金の刀を、流れ作業で作るような教育をしている塾が多いです。そのような学び方では、時間が経てば鍍金は必ず剥がれてしまいます。みなさんは美しい日本刀を作るように、丹精を凝らして真剣に学ぶのです。仕方なくやるのではなく、渋々やるのではなくて、誠実を胸にきざみながら、学び続けるのです。