人間的完成への努力 ひとりの時間
学び舎通信 138
ひとりの時間
イネは夜に育つ、誰にも見られていないときに。
ヒトも同じです。自分ひとりのときに何をするか、しないかで成長するか、しないかが決まる。
これは『詞集たいまつ』にある、むのたけじさんの詞です。みなさんはひとりの時間に何をしていますか。
『動物記』を書いたシートンや『昆虫記』を書いたファーブルは、子どものころ、自然の中でひとり遊びをしていました。工夫しながら創造的な遊びをすることで、思考力を鍛えました。ひとりになって静かに考えることで、自分の生き方を見つけ出すことができます。
詩人の茨木のり子さんは、『一人は賑やか』という作品にこう書いています。
一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな森だよ
夢がぱちぱち はぜてくる
「君子の交わりは淡き水の若く」と、『荘子』に書かれています。「立派な人格と教養をそなえた人の付き合いは、さっぱりとして水のようだ」という意味です。充実した人生を送っている人は、馴れ合いの付き合いを嫌います。そういう人たちの友人との付き合いは、あっさりしていますが、理解し合っているので余計な言葉はいらないのです。
ひとり勉強
北海道JRの日高本線の終着駅に、様似という町があります。人口7,000人。東に日高山脈が聳え、西に太平洋が広がっています。平野部には広大な牧場があり、草を食む駿馬の姿が見られます。
町の小高い丘に中学校があります。学校の裏山には、ヒグマが現れることもあります。360人の子どもたちが学ぶ、日本の果てにある学校ですが、学力の非常に高い子どもたちがいます。子どもたちは、自分で学習計画を立てて勉強しています。
I君はわたしが顧問をしていた剣道部の部員で、生徒会の役員をしていました。毎朝、登校前の1時間、自宅で英語の勉強をしていました。I君は中学3年のとき、英検2級に挑戦しました。合格するためには高校卒業程度の英語力が必要ですが、I君はそれだけの英語力を鍛えていました。
Tさんは読書家で、生徒会の役員をしていました。授業中、わたしの顔をまっすぐ見て説明を聞いていました。休み時間になると、わたしのところにやって来て質問をしました。理解できないところや疑問に思ったところを、納得するまで訊きました。Tさんは、北海道全土から学力の高い生徒が集まる札幌の高校に進学しました。
日本の片隅にある様似中学校で、ひとり勉強をしていた子どもたちは、簡素な生活をしていました。早寝早起きの規則正しい生活。清潔な部屋。このような暮らしのなかから、向学心は生まれ、毎日の勉強の積み重ねで、学力を向上させていました。
(*人口、生徒数は1991年のものです。)
人間的完成への努力
作家の吉川英治の座右の銘は、「生涯一書生」でした。小学校しか出ていない吉川さんは、「一日一日が刻苦と修業である」と心に決め、人に見えない努力をして、学問を身につけました。
吉川さんは逆境の中で自己形成を行いました。30歳になっても「一学生」、40歳になっても「人生の一学生」という気持ちで人間的完成への努力をしました。50歳になっても「まだ学んで足らないだろう」と勉強を続け、「吉川文学」を築き上げました。
吉川さんが『宮本武蔵』を書いたのは、今から約80年前のことです。ただ独り山に籠って樹木や山霊を師として勉強していた武蔵は、「自分の生涯を創ってゆくものは、自分以外の誰でもない」と言います。「克ちきる道は、自分を研くことしかない」とも言います。そうして、武蔵は凡才を絶え間なく研こうと努力しました。
20年程前に進学塾で教えたことがあります。教育をビジネスの対象とし、子どもたちを管理していました。手練手管のシステムの中にいる子どもたちは、自分のしたい勉強を自由にすることができていませんでした。これは教育とは言えません。
「医療・農業・教育を利益追求の対象にしてはならない」と、経済学者の宇沢弘文さんは主張しましたが、わたしも同じ考えです。
そもそも勉強はひとりきりで、自分のペースでするものです。一番困るのが自由を奪われることです。 教育とは、人間的完成への努力ができるように、子どもの力を引き出し、歩む導きをすることなのです。
自分の勉強法を見つける
勉強するときは、「自分に合った勉強法を見つけ出す」という気持ちが、基礎になければならなりません。「自分の勉強法を作り上げていくこと」が、一番大事なのです。「自分で自分のやり方を作っていくこと」は、楽しいことです。そこには「創造する」という感覚があるからです。時間をかけて、失敗を重ねながら、何度も何度も練習すれば、自分に合った勉強法を見つけられます。
「勉強するのは辛い」と感じる人がいます。そう感じるのは、自分の不得意なこと、できないことに、向き合っている証拠でもあります。しかし、自分の辛いと感じることを一つずつ乗り越えて、良い結果を出していくという経験に、価値があるのです。
「わからない」は素晴らしい
「なんでわからないの」と怒られた経験のある子どもは、わからないことの尊さを知りません。わからないことは、恥ずかしいことではありません。わからないのに、わかっている振りをすることが、恥ずかしいことなのです。
子どもが「わからない」と言ったら、むしろ褒めてあげるべきです。「そう、わからないの。じゃ、一緒に考えようか」と言ってあげると、子どもは一生懸命考えます。「わからない」というのは、伸びるためのチャンスで、「わからないことがあるということは、素晴らしいことなんだよ」と教えてあげるべきなのです。
自分でわかるための方法を考えることも大事で、そこに至るまでのわからない時間が尊いのです。わからないことは、決して悪い事ではありません。
わからないことを自分ひとりで考えて、「わかった」ときは、「なんとも言えないいい気持ち」になります。
林修さんは、「教えすぎて、わからせすぎてしまったのは、大いなる反省点だと思っています。僕自身はそれに気づいたから、わからないことを重視する授業に変えてきました。今は教えすぎないようにして、生徒に持ち帰らせて、考えさせるような時間を増やしています」と言います。
やるなら今しかない
林さんの話は続きます。
「『大地』の著者、パール・バックの言葉に、『私は気分が乗ってくるのを待つことはない。そんなことをしていたら、何もできない。何より大切なことは、まず着手すべきことを知るべきだ』というのがあります。『いつやるか?今でしょ!』ってことになります。気が乗らないからと言っているようでは、ダメなんです。今やるだけなんです。『やれるかな?』と迷うようなことは、まずやれるんです。『やろう』と思ったら直ちに始めてください。
同期のひとりは全国模試で何度も上位に入るほど優秀だったのに、現役のときにはなぜか落ちたんです。1年浪人して、何がいけなかったのかをしっかり見つめ直して、翌年には合格しました。入学後も真剣に勉強を続け、優秀な成績を収めて官僚になりました。彼は『浪人してなかったらこんなふうにはならなかった』と言っていました。『一度ぶっ叩かれたことで、その後の人生に真剣に向き合うようになった』ということだと思います」。
受験の1ヶ月前
「こうしよう」と心に決めた目的や望みのことを、志と言いますが、志がしっかりしている人ほど、目的を遂げることができています。
その学校に行きたいという思いがあって、あとひと月のことを想像してみてください。
頑張ってできるだけのことを、「もうやり残したことがない」というくらいやったか。完璧に力を出し切って合格したのなら、いいです。力を出し切ったけれど不合格だったということもあります。その原因は、「合格するぞ」という志が弱かったことにあるのではないでしょうか。
なかには、「このひと月踏ん張りが足りなかったな」と思いながらも、合格してしまった人もいるはずです。これはよくありません。「自分は『ここが勝負だ』と思っているのに、たったひと月も踏ん張れない人間だ」という思いを抱えて、生きていくことになるからです。むしろ、「ひと月頑張れなかったので、不合格になったのだ」というほうがいいのです。もう一度出直して、「今度は頑張った」という自信を持って志望校に行けばいいのです。こういう経験を通して得たものは、生きていく上で大きな力になります。
「ひと月ならば、わたしは頑張れる」という自信を持つことは、「わたしは一生頑張れる」という自信の基礎になります。
もっと大切なことは、ひと月頑張るためには、それまでの努力の積み重ねが必要だということです。日頃から力を出し続けている人が、「ここ一番」というときに力を発揮できるのです。