プロフェッショナルになるために
離れて、見る。
物事の渦中にいるとき、自分の状態を把握するのは難しいです。
必死に前進しているつもりでも、外から見ればただ流れに翻弄されているだけかもしれません。しかし、時間が経つと、あるいは少し離れた場所に移動すると、それまでの自分の様子が鮮明に理解されます。
それはまさしく、山に登ったとき、自転車で遠くへ出かけたときに感じたことと同じです。丘の上からはるか眼下に、あるいは走ってきた海岸線の先に自分の町を見つけると妙に納得したような感情を抱きませんか?普段の日常生活で些細なことで泣いたり笑ったりしている自分を外側から見たような気分になりませんか。日々の生活の中では気づきもしないようなことが数多く見えてきます。熱中して登ったり走ったりしている間も、自分がどこにいるのかわかりません。でも、それを超えて初めて展望が開けます。
モネは印象派の芸術家として知られています。
自然に対して自分が認識した感覚の表現にこだわりました。例えば、光の変化と季節の移り変わりをとらえるために、時間帯や視点を変えて何度も同じ風景を描く方法を確立させました。しかし、それが故に彼の点描画は間近で見ても、何を表現しているのかよくわかりません。離れないと見えないのです。
この手法は実は、複雑なものを単純化しているのです。
歩いたり走ったりした軌跡を遠くから眺めているのです。モネの例で言えば、細々した事象を抜いて「変化」の様子を描写しているのです。
プロフェッショナルになるために
一流と呼ばれる人に共通していることは何だと思いますか?
あるいは、どのような人を一流だと考えますか?私は、彼らに共通する最大の事項は信じられないほどの努力をこなしていることだと感じます。スポーツ選手は試合のずっと前から入念にトレーニング・栄養管理して調整していますね。さらに、生まれつきの才能や素質も大きな要素かもしれません。こう聞くと「あの人は才能があるから〇〇できたんだ」という思考に陥りがちです。しかし、私はこう思うのです。「もし、彼らにその道の才能がなかったとしても、別の分野で一流になれただろう」
私が通っていた高校にはそれぞれの分野で一流の人がたくさんいました。
科学系のオリンピックでは上位を独占していましたし、アプリ開発や大学と共同研究をしている人もいました。これは「自分の好きなこと」を突き詰めた結果であり、才能に加えて「根気強さ」があった証拠です。哲学者のニーチェは
「天賦の才能がないと言って悲観すべきではない。才能がないと思うのならば、それを習得すればいいのだ」
と言っています。
才能を習得する
才能を習得するには根気強さが必要です。
そう簡単に手に入れられるものではありません。これは誰でも鍛えれば身につきます。私の経験から言いますと、次の条件がそろえば粘り強くなれます。
- 誘惑を完全に遠ざける(集中力)
- 前よりも没頭する(限界突破)
- 理想や夢を持つ(意欲持続)
これらの3要素は自分の力を最大限に発揮するために必要不可欠です。
()で示した、集中力・限界突破・意欲持続のうちどれか一つでも欠ければ、目標は達成されませんし、ましてや新たな才能を習得することもできません。みなさんの中には、「自分にはなんの才能もないから」とか「自分は飽きっぽい性格だから」と弱気になっている人もいるかもしれません。これは、他人と比較していることの現れであり、現状に満足している結果です。
過酷な自然環境を生き抜く動物が、「今日は面倒くさいから」と言った理由で狩りの習得を怠ったりしますか?あるいは、せっかくこの世に生まれた鳥が「才能がないから」と言う理由で飛ぶのを諦めたりしますか?
私たち人間は飢えることのない、豊かな生活を手に入れました。
また、文明を発展させて知性を獲得しました。しかし、それが故に本能の出番が少なくなってきています。生き物が「諦めない」理由は、死が目前に迫っているからであり、本能を研ぎ澄ませているからです。知性の台頭により本能の出番が少なくなった私たちの生活の中で、知性は毒にも薬にもなります。新しい才能を獲得するには知性を働かせて自らを制御・高めていく必要があります。そして、それが生きるということにつながるのではないでしょうか。
本記事の冒頭で「離れて、見る」ことについてお話ししました。
「離れる」ためにも根気強さは必要です。物理的に遠くに移動するのも、新たな視座を得るのも努力なしでは達成できないことです。