故郷の風景
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故郷の風景
大晦日にアルプスを眺めるために松本経由で鈍行列車に揺られながら東京から故郷に帰ってきました。
それからしばらくこちらで過ごすことになったので、その様子でもお話ししましょう。
私は山歩きと自転車に乗るのが好きで、東京に行く前に南泉州の道は路地から登山道に至るまでほとんどの道を行きました。
自宅にある『泉南・阪南市、岬町』の地図は赤鉛筆で真っ赤に塗りつぶされ、それらは込み入った住宅地から山奥まで覆われています。
そして、東京の杉並に移ってからも同じように東京都全体の地図を買って、通った道を赤鉛筆で塗り同じようなことを試みています。
ですから、町の様子はずいぶんと知っているつもりでいます。
秩序と混沌
1年弱を杉並で過ごして久々に戻ってくると故郷が全く変わった風に見えます。
どのように違うのかというと、泉南が無秩序で混沌のかたまりに見えてきたのです。
あらゆるものが乱雑で散らかっているのです。それは、道路自体の意義、路面、建物、空き地の植生やゴミ、車やバイクの様子などすべてについて言えます。
だからと言って、私は泉南を非難しているわけではありません。
東京で人工物に囲まれて生活する私の心の中で煌々と光を放っているのはやはり故郷の風景なのです。
しかもそれは、いま言ったようなおぞましさは一切取り払われ、田園やゆったり流れる川や大きく連なる山脈、広い海と遠くにかすむ島、頭上いっぱいの空なのです。
故郷は溶かされ不純物は沈殿し、美しく純粋な結晶のみが心に残るのです。
自然物は固有の名を失い、ただあるべき情景として現れてきます。
私は「これぞ泉州、我が故郷」と満足し、都会で山も見ず海も見ず、土に触れずに育った哀れな人を目の前にして優越感に浸るのです。
帰郷の混乱
しかし、幾月かの時を経て再び帰郷すると、やはり不純物は不純物として自身の存在を主張して目の前に立ちはだかり、山や川は固有の名を冠し(そしてそのために品位が下げられ)、現実のものとして一挙に出てくるのです。
よって、私の頭は混乱し、故郷に失望し、故郷を混沌のかたまりと決めつけなければならないのです。
それは、おそらく故郷の泉南が自然と人工の入り混じった場所であるために引き起こされたのでしょう。
随所まで見落としなく人工物(舗装や建物だけでなく木々の植栽も含めることにします)で覆われた杉並はもはや混沌は解消され、人工の広がりと同じくらい秩序が徹底されているに違いありません。
試しに、杉並の町を観察してみましょう。
道歩く人々の身なり、家に植えられている木々の種類やその様子、玄関横の車やそのほか諸々を見ても、皆が一定の水準に収まっていることが分かります。取り立てて変化を見つけることのできない風景です。
戦前は田園が広がっていたところも戦後復興とともに開発の波にすべてが洗われ、それから50年もたつとこのような状態になるのは容易に想像できます。
私は高校が神戸の東灘区にあったのでそこもよく知っているのですが、こちらも震災から20年、足並みそろえて復興した街はやはり整っており、皆が一定の水準に落ち着いているのでした。ただ、東灘区の場合そびえる六甲山とそこから流れる清流、上品な家と人、つまり自然と人工がうまい具合に均衡を保っているのです。
そして、ここは良い町だろうなと思うのです。
開発と無秩序化
うかつにも、私は故郷のたどってきた歴史的経緯を詳しく存じていませんが、大きく開発が進んだのは最近だと思って良いように感じます。
関空が来るからりんくうの埋め立てが進んで、幹線道路が無駄なほど乱造され、大型店舗が押し寄せてきて(そのために古くからある店は次第に影を潜め)、それが新たな宅地開発を呼んで・・・。
こう考えると今まさに大動乱の時期にあるではありませんか。
農業と漁業、繊維業で成り立ってきた地域に突如として3次産業の爆発的な流入を許したのはどう評価すべきでしょう。
私が泉南を無秩序で混沌とさげすんだのも無理はありません。
それに、何も知らず急激な発展に浮かれたのか、勢い余って作られた道路は暴走族、不法投棄専用道と化し、遊歩道や公園は外来植物育成所へと変貌しているのはうなずけません。急激な堕落ともとらえられます。樫井川は私が小学低学年の時に日本で最も汚い川としてその名を全国にとどろかせました。それから10年たってもワースト1に安住しているのは、どういうことでしょうか。
そして、それを知っていてか知らずにか「豊かな自然」と無責任に唱え観光にしか目が向いていない今、私の故郷はどのような姿になるのでしょう。
不純物ばかりがやたらと増えて、結晶の抽出を妨げることのないように祈るばかりです。