君は精一杯生きたか
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新たな成長への一歩
4月になると皆さんは一つ上の学年、あるいは学校に上がりますね。
固く閉じていた木の芽も次々とほころび始め、皆さんもまた気持ちを膨らませていることと思います。
早いもので、私が東京へ移ってから1年が経ちました。
入試の時に東京へ来たときは灰色の無愛想なビルがひしめいて、その下の薄暗いところを車におびえながら歩くのがたまらなく嫌で、耳慣れぬ東京の言葉にも違和感を抱いていましたが、春に再び入学準備で訪れたときには払しょくされていました。
住む場所も杉並区の落ち着いた住宅街に決まり、意外に木々や野鳥の多いことにも大満足です。
話がそれましたが、私の小学生時代を振り返っても4月はやはり喜びに満ちた時期であり、一学年50人程度の小さな学校でしたが、級友も教室も先生も何もかもが新しくなりました。
まっさらの教科書が配られると、私は喜び勇んですべてのページをめくり、そこから湧き起こった風は春の草原に吹くものと同じほどにすがすがしく優しいものでした。
新しく次のステップに足を踏み出す。
さらに自己を大きく成長させ磨きをかける。皆さんは今、そういう時期にいます。
春の混乱
小学校や中学校と比べると、大学は一年を通して落ち着いた雰囲気があります。
ただ、新入生が入ってくる4月になると構内も華やかになります。
敷地内の通路という通路にはクラブやサークルが勧誘の立て看板を隙間なく並べ、廊下の壁にはビラがびっしりと貼りつけられます。
私の大学はクラブ・サークルの数が膨大なので混乱を極めます。
大量に配られるビラ専用の巨大なゴミ箱が設置され紙袋を配布するなど、大学もできる限り騒擾を鎮めて秩序を取り戻し、平静を保とうと手だてを尽くします。
そして、新入生の方はというと重要な書類と大事な情報が大量の不要なビラと勧誘文句に紛れかき消されてしまい、大学の姿をつかめないまま最初の1か月を過ごすことになります。
大学の入学式
大学になると生徒が桁違いに多いので、入学式は体育館でも講堂でも行われません。
私の大学の場合は武道館というところで行いました。
東京の複雑きわまる地下鉄に乗って行きました。
時期はなぜか4月中旬と遅く授業はもうすでに始まってからです。
クラシック音楽が演奏された後、総長など何人かから話があります。
本当にこれが大学のトップの考えなのかと疑いたくなるほど中身が薄く目先のことにとらわれている話もありました。
入学式でされる話がさして重要ではなくすぐに忘れ去られてしまうことは大学も同じです。
式場は仰々しくても大学の入学式はどこかそっけないものですね。
君は精一杯生きたか
ひとつ上の学年になったし、新しい友達もできたし、楽しいことばかりに違いありません。
皆さんの輝くような瞳がすべてを語っています。
さて、広大な未来を目の前にしてこれからどのように過ごそうかと考えます。
まだ20年ほどしか生きていない私が偉そうなことを言う資格は微塵もありませんが、伝えたいことはあります。
一生懸命に生きる
とにかく一生懸命に生きればよいのです。
子どもは一番好奇心が強い時期です。
たくさんのものを自分の力で吸収してください。
子どもの頃に吸収したものは大人になってからも活きてくるはずです。
学校の勉強も一生懸命にしてください。
とりわけ小学生で習うのは身近な物事が多いですから身の周りを理解するのに役に立ちます。
大切なのは自分で学ぶ姿勢を崩さないこと。
テストができることよりも自分で考えられるということが大事です。
自然と親しむ
子どもはまた、最も自然と親しみやすい時期です。
自分が知覚するものすべてをありのままに受け止めます。
純粋に美しいものは美しいと感じ、そうでないものはそうでないと感じます。
できるだけ自然の中で過ごす時間を増やしてこうした感性を大事にするとよいでしょう。
大人になるとこれは簡単なことではありません。
知識をやたらと身につけてしまったためにフィルターを通してでしか物事を見ることができません。
それどころか、周りのものに目を向ける余裕があるかどうかも怪しいです。
子どものうちに、身近な自然のかすかな変化や美しさをしっかりと観て感じて心に取り入れてください。
子どもの頃に吸収したものは年月とともに輝きを増していきます。
「君は精一杯生きたか」
こう聞かれて自信を持って答えられる一年にしてください。