本気で生きる 平常心で生きる
本気で生きる
人間は、本気で生きているときが一番幸せです。
今を一生懸命生きている人は、前を向いています。将来を考えて、心配したり不安になったりしません。
「本気で生きる」ということは、「自分で考える」ということです。多くの人は平生あまり深く考えずに生きていますが、切羽詰まれば自分で考えるようになります。しかし、土壇場にならないと本気になれないというのでは、たいしたことはできません。
勉強でも仕事でも普段から本気でやることです。他人に指示されるのを待って行動するのは、人生を怠けているようなものです。「何をするのか、どうすればよいのか」を常に自分で考えて行動するのです。
今の日本人は、大抵のことを適当にやっています。厄介な問題や対立から逃げる人というのは、次に問題が出てきたときにも、逃げるに決まっています。それはつまり、何も学ぶ気がないということです。どんな社会であれ、何かをやるということは、自分を育てるという意味合いがあります。「これは自分を育ててくれる」と思えば、本気になれるはずです。
人生とは崖をよじ登っているようなものです。手を離しただけで谷底に落ちていきます。手を離さずに全身を使って一歩ずつよじ登ります。そうすると少しずつ世界が広く見えてきます。自分の力で道を切り開いて行く。人生というのはそういうものです。
平常心で生きる
野生の生き物は本気で生きています。椋鳩十の「大造じいさんとがん」を読んだのは48年前ですが、「残雪」と呼ばれた雁の堂々たる態度を今も憶えています。雲の中を仲間からはぐれて一羽だけ飛んでいる雁を「雲中一雁」と言いますが、人間にも組織から離れて独力でたくましく生きる人がいます。
「雲中白鶴」という言葉があります。雲の中を飛んでいる美しい白鶴はウズラやミソサザイなどを捕らえる網にかからないように、「高潔な人格者は世俗のくだらない誘惑にかからない」という意味です。
多すぎる情報は、欲や不安を掻き立て人の卑しい部分を刺激します。情報に振り回されているうちに、多くの人はそれに頼らないと不安になります。心の中の欲が行動に表れそうになるときがあります。そんなときは姿勢を正しくして力を抜きます。力みを取り姿勢を正すことで心の中の欲が消えていきます。
本気で生きようと思うなら自分のできることをきちんとすることです。自分のできることをしないで、本気で生きることはできません。怠けていないで、自分のできることを一つひとつ正しく行うのです。
弓を射るときは、弓を射るという意識を忘れて普段の心で弓を射ます。太刀を遣うときは、太刀を遣わないときの心で行います。これは武術の教えですが、武術に限らず何事も平常心で行うといいです。
ひたむきになれる人は胸の内に余計なものがありません。心は鏡のように澄んでいます。無心で無欲なので全ての事態に対応することができます。平常心であらゆることを成し遂げる人を名人と言います。
自律して生き生きと生きる
便利さによって、思考力や判断力や批判力が退化している人がいます。インターネットに依存すると、情報が偏るだけでなく脳への刺激が急速に減ります。また、テレビの視聴で、思考を司る脳の前頭前野の働きが低下するという調査結果もあります。
文明の利器で生活が便利で楽になると人間は怠けます。楽をして自分を甘やかすと、筋肉が衰えて体の動きが鈍くなります。体の動きが鈍くなると、内臓の働きも鈍くなり、免疫力が下がります。脳への刺激が乏しいので、記憶力や空間認識力が衰えます。
これからの社会は、ビッグデータの活用で生活が大きく変わると思います。しかし、データを優先するのではなく、「自分がどう感じるか、どう考えるか」を大切したほうが良いです。自分にとって本当に大切なもの、価値あるものを選びます。「どう考え、どう生きるか」、全ては自分に決定権があるのです。
誰かにあるいは何かに依存し続ける限り、自律的に生きるのは難しい。他人の目を意識している限り、何をやっても継続するのは難しい。決めるのは自分です。勉強でも仕事でも、「誰かに言われたから」と言い訳してはいけません。必ず自分で決めるのです。
高齢になっても自律して若々しい人は、以下の4つを大切にしています。
- よく動く
- よく食べる
- 好奇心を持っている
- 自分流に行動する
この4つが生き生きと生きる秘訣になっています。苦楽を験経して生きていれば、愛情や誠実や勇気や寛容など目に見えないものに力があること、人間は直感という霊感を備えた存在であること、に気づきます。