赭鞭一撻 独力で学ぶ
赭鞭一撻
これは、植物学を志すようになった牧野富太郎が18~20歳の頃に作った勉強心得です。「しゃべんいったつ」と読みます。赭鞭とは、古代中国伝説上の帝王神農が手にしていた赤い鞭のことです。撻は鞭をうつという意味です。この15カ条の抱負は生涯を通じて実践されました。先日訪れた、東京練馬区の牧野記念庭園(居宅跡地)に掲げられていました。いくつかをかいつまんで紹介します。
忍耐を要す
何事においてもそうですが、詳細はちょっと見で分かるようなものではありません。行き詰っても耐え忍んで研究を続けなさい。
精密を要す
不明な点や不明瞭な点があるのをそのままにしてはいけない。いい加減ですますことがないように、とことんまで精密を心がけなさい。
書籍の博覧を要す
書籍は古今東西の学者の研究の結実です。できる限り多くの書を読み、自分自身の血とし肉とし、それを土台に研究しなさい。
宜しく師を要すべし
疑問がある場合、書物だけで答えを得ることはできません。誰か先生について聞く以外に方法はありません。それも一人の先生だけではだめです。先生と仰ぐのに年の上下は関係ありません。分からないことを聞く場合、年下の者に聞いては恥だと思うようなことでは疑問を解くことは死ぬまで不可能です。
吝財者は学者たるを得ず
研究に必要な書籍や器機を買うにもお金が要ります。けちけちしていては学者になれません。
博く交を同志に結ぶべし
学ぶ人を求めて友人にしなさい。遠いも近いも年齢の上下も関係ありません。お互いに知識を与えあうことによって知識の偏りを防ぎ、広い知識を身につけられます。
邇言を察するを要す
子供や婦人や農夫らの言う、ちょっとした言葉を馬鹿にせず彼らの言うことを記録しなさい。(植物の)知識は職業や男女、年齢に関係ありません。
書を家とせずして、友とすべし
本は読まなければなりません。しかし、書かれていることがすべて正しい訳ではなく、間違いもあるでしょう。書かれていることを信じてばかりいては、その中に安住して自分の学問をのばす可能性を失うことになり、新説をたてることも不可能となるでしょう。過去の学者のあげた成果を批判し、誤りを正してこそ、学問の未来に寄与することになります。書物は自分と対等の立場にある友人であると思いなさい。
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上記の他に、草木の博覧を要す、植学に関係ある学科は皆学ぶを要す、洋書を講ずるを要す、当に図画を引くを学ぶべし、跋渉の労を厭うなかれ、植物園を有するを要す、造物主あるを信ずるなかれ、があります。
合わせて15カ条となります。
富太郎の心得は、私たちの学習にも大いに参考になります。
独力で学ぶ
牧野富太郎はどういう人物であったか話しておかなければなりません。
富太郎はひと言で言うと、「日本の植物分類学を独力で切り拓いた巨人」です。
まず、受けた教育に関して述べると富太郎は小学校中退です。
当時の教育制度は現在と異なっているため単純に比較はできませんが、彼が並外れた独学の才能を持っていたことは確かです。彼にとっての学校は自然そのものでした。幼いころから植物が好きで、『自叙伝』では学校や塾にはほとんど通わずに山ばかり行っていたと述べられています。親の干渉もなく自由に学びました。本は惜しみなく買い、植物への知識を増やしていったようです。貧しさでわずかな書物しか買えなかった昆虫学者のファーブルとは正反対の生き方でした。実家の高知県では満足できず東京まで書籍や器機を求めました。東京の大学の教室へ出入りを許されるようになると、さらに植物の研究が勢いづきました。
赭鞭一撻のとおり金を惜しみなく書籍に投入した富太郎ですが、次第に借金が増えて苦しむようになります。富太郎は自らの才能の高さを嫉妬されるようになり、権威を盾にした研究妨害も受けるようにもなりました。学歴とは無縁の富太郎は給料も僅かでしたが、彼は地位には目もくれなかったと言います。晩年になって周りから勧められて博士号を授かった時も「これで平凡になってしまった」と悲しんだそうです。
富太郎はひたすら学び、学問の普及に専念した人でした。