タフな人間になる 集中力・持続力を身につける方法
学び舎通信 89
タフな人間になる
「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年にならなくちゃいけないんだ。なにがあろうとさ。そうする以外に君がこの世界を生きのびていく道はないんだからね。そしてそのためには、ほんとうにタフであるというのがどういうことなのか、君は自分で理解しなくちゃならない。わかった?」」
これは村上春樹の『海辺のカフカ』の冒頭にある《カラスと呼ばれる少年》の言葉です。『海辺のカフカ(上・下)』は約1,000ページの長編小説です。
主人公は東京の私立中学に通う田村カフカ。4歳の時、母は姉を連れて家を出ました。それ以来、カフカは父と2人で暮らしていましたが、15歳の誕生日に家出をします。洋服、寝袋、洗面用具、雨天用のポンチョ、ノート、ボールペンなどをリュックに詰めて、夜行バスで四国に向かいます。カフカは香川県高松市にある甲村記念図書館の一室で暮らすようになります。カフカは規則正しい、簡素な生活を送ります。『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』『夏目漱石全集』など数多くの本を読み、腕立て伏せ、腹筋などの筋力トレーニングで体を鍛えます。
そんなカフカに図書館館長の佐伯さんが言います。
「あなたはきっと強くなりたいのね」
「強くならないと生き残っていけないんです。とくに僕の場合には」
「あなたはひとりぼっちだから」
「誰も助けてくれない。少なくともこれまでは誰も助けてはくれなかった。だから自分の力でやっていくしかなかった。そのためには強くなることが必要です。はぐれたカラスと同じです。だから僕は自分にカフカという名前をつけた。カフカというのはチェコ語でカラスのことです」
「でもそういう生きかたにもやはり限界があるんじゃないかしら。強さを壁にしてそこに自分をかこいこむことはできない。強さというのは、より強いものによって破られるものなのね。原理的に」
「僕が求めている強さというのは、勝ったり負けたりする強さじゃないんです。外からの力をはねつけるための壁がほしいわけでもない。僕がほしいのは外からやってくる力を受けて、それに耐えるための強さです。不公平さや不運や悲しみや無理解―そういうものごとに静かに耐えていくための強さです」
「それはたぶん、手に入れるのがいちばんむずかしい種類の強さでしょうね」
その後、カフカは高知県の山奥にある水道も電気もガスもない山小屋での生活を始めます。森の中で《カラスと呼ばれる少年》が言います。
「君がやらなくちゃならないのは、たぶん君の中にある恐怖と怒りを乗り越えることだ。そこに明るい光を入れ、君の心の冷えた部分を溶かしていくことだ。それがほんとうにタフになるということなんだ。そうすることによってはじめて君は世界でいちばんタフな15歳の少年になれるんだ。僕の言うことはわかるよね?今からでも遅くはない。今からならまだ君はほんとうに自分を取り戻すことができる。頭をつかって考えるんだ。どうすればいいか、考えるんだよ。君は決して馬鹿じゃない。考えることはできるはずだ」
Pain is inevitable. Suffering is optional.
「痛みは避けがたいが、苦しみは自分次第」
たとえば、20kgのリュックを担いで3,000mを超すような山を登っているとき、「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとします。「きつい」というのは避けようのない事実ですが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の気持ち次第です。「もう駄目だ」と思ってそこで登るのを諦めてしまえば、そこから先にある素晴らしい世界にたどり着くことはできません。しかし、くじけそうな自分の気持ちを奮い立たせ、一歩一歩高みを目指して登れば、いつか必ず山の頂に立つことができるのです。
続けることで力が生まれる
毎日欠かさず、勉強を続けるのです。ただ黙々と時間をかけて勉強するのです。毎日勉強を続けてすれば、いつか必ずできるようになります。『老人と海』を書いたアーネスト・ヘミングウェイは、「継続すること、つまり、リズムを断ち切らないこと、長期的な作業にとってはそれが必要だ」と言いました。
いったん勉強のリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなります。しかし、勉強のリズムが一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続することについてどんなに気をつかっても気をつかいすぎることはありません。
自分を励まそう
1984年のロサンゼルスオリンピックには、当時大変人気のあったマラソンランナーの瀬古利彦さんが出場しました。瀬古さんは、国民的な英雄と言ってもいいほど人気が高い人でしたが、ロサンゼルスオリンピックでもその後のソウルオリンピックでも、期待に反して、メダル獲得どころか、入賞することもできませんでした。
しかし、それでも瀬古さんは人気者でした。それは礼儀正しくストイック(したいと思うことやほしいと思う気持ちをおさえて、がまんすること)で、人柄がとてもすばらしいと評価されていたからです。瀬古さんは千駄ヶ谷に住んでいたのですが、昼間にはよくその近くの代々木公園で練習して、昼休みのサラリーマンに対しても笑顔であいさつをしていたという話があります。
瀬古さんのオリンピックの結果に対しては、残念だったとか、かわいそうだったとかいう感想があっても、なぜほかの人を(オリンピックに)送らなかったのかとか、調整が甘いとか、ひどいバッシング(きびしく非難すること)が起きることはありませんでした。それは瀬古さんの素直でまじめな人柄が評価されていたからだと思います。
瀬古さんは、こんな質問をされたことがあります。
「瀬古さんくらいのレベルのランナーでも、毎日練習するとき、今日はなんか走りたくないな、いやだなあ、家でこのまま寝ていたいなあ、と思うようなことってあるんですか?」
そのとき、瀬古さんは〈なんちゅう馬鹿な質問をするんだ〉という声で「当り前じゃないですか。そんなのはしょっちゅうですよ!」と答えました。
「今日は走りたくないな、いやだなあ」と思うのはみんな同じなのです。しかし、瀬古さんのような一流選手とそうでない人はそのあとが違います。「今日は走りたくないな」と思っても、もう一度自らの志気(ある事をしようとする意気ごみ)を鼓舞(はげまし元気づけること)して走るのが一流選手なのです。
勉強ができる人でも「今日は勉強したくないな」と思う時があるはずです。しかし、そんなときでも自分を励まし勉強しているのです。勉強が苦手な人は「今日は勉強したくないな」と思えば、自分を励まさずに、テレビを見てしまったりゲームをしてしまったりして、勉強をさぼっているのでしょうね。
集中力・持続力を身につける方法
勉強の上達には、集中力と持続力が必要です。
ありがたいことに集中力や持続力は、持って生まれた才能とは違って、トレーニングによって後天的(生まれつきではなく、生まれたあとに身にそなわるようす)に獲得し、向上させていくことができます。
毎日机の前に座り、意識を一点に注ぎ込む訓練を続けていれば、集中力と持続力は自然に身についてきます。
日々休まずに机の前に座り、勉強しながら「気持ちを集中して勉強することが、自分という人間にとって必要なことなんだ」という情報を身体に継続して送り込み、しっかりと覚え込ませるわけです。
このことを身体に覚え込ませるのは、我慢強くなくてはできません。辛いことや苦しいことをじっとこらえる気持ちがなくてはできません。
「たとえ何も書くことがなかったとして、私は一日に何時間は必ず机の前に座って、一人で意識を集中することにしている」と、優れたミステリー作家のレイモンド・チャンドラーは言います。
良い習慣をつけよう
私はテレビをほとんど見ません。自分の大切な時間がテレビに取られるのが嫌だからです。良い番組があれば、たまに見ます。
今年の4月から6月まで12回、『ハーバード白熱教室』という番組がNHK教育テレビでありました。名門ハーバード大学の講義がどんなものなのか興味があったので、ときどき見ました。大講堂でマイケル・サンデル教授が大勢の学生(1,000人くらいいたと思います)を相手に古代ギリシャの哲学者ソクラテスを彷彿(ありありと目の前に思い浮かぶようす)させる問答形式の講義を行うのには驚きました。
サンデル教授の著書、『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』の中に古代ギリシャの哲学者アリストテレスの話が出てきます。
「われわれは正しい行動をすることで正しくなり、節度(人に迷惑をかけないように、自分がそうしたいと思うことでも、守るべき程度を越さないこと)ある行動をすることで節度を身につけ、勇敢(勇気があり、何事もおそれずにすすんで物事を行うこと)な行動をすることで勇敢になる」(アリストテレス著『ニコマコス倫理学』)
このアリストテレスの言葉に従えば、「勉強することで頭がよくなる」のです。勉強せずに頭がよくなることはありません。練習しなくてはいけません。