卒業生からのメッセージ 2015 東大生からの手紙
学び舎通信 143
子どもの脳を育てる
脳の発達期に大切なことは、まず、正しい姿勢をきちんと教えること。次に、子どもが発する「なぜ?」に正面から向き合って、答えること。そして、手を動かしてできるだけ細かい作業をさせること。この三つがきちんとできていれば、子どもの脳はよく育ちます。昔から当たり前のこととして、やられてきたことが、子どもの脳を育てることになるのです。
親と子がお互いを思うあたたかい心があれば、子どもは必ずよく育ちます。子どもが責任感ある優しい人に育つように願うなら、親が子育てに責任を持たなければならない、優しさがなければならないと思います。
自然は子どもの先生
子どもを豊かな自然の中で遊ばせると、子どもは自分の判断で遊ぶようになります。大人があれこれ口を挟まなければ、子どもはすぐにひとりで遊べるようになります。山や川や海は、子どもの先生です。
自然の中では、自分で決めた遊びに責任を持ってやりさえすれば、何をやってもいい、自由なのです。子どもが自然の中で遊ぶときは、大人は細かい指図をしてはいけません。そうすれば、子どもは、自分で考えて、自分で判断して遊ぶようになります。
子どもを広い場所で遊ばせると、自分の判断で遊ぶようになります。大人があれこれ口を挟まなければ、子どもはすぐにひとりで遊べるようになります。
大人から指図ばかりされて、命令されないと行動できなくなっている子どもたちがいます。そういう子どもたちは、遊園地のように遊び道具を差し出されないと遊べません。遊び道具のない自然の中で何をしたら面白いか見当がつかないのです。また、子どもを管理することに熱心で、子どもを自由に遊ばせるのはいけないと思っている大人がいます。生徒を管理することだけを考え、生徒を解放することを考えたこともない教師もいます。
私は学び舎の子どもたちに、なるべく指示しないようにしています。子どもたちに自分で考えて、自分で判断して学んでもらいたいからです。自立して学べる人、自立して生きていける人になってもらいたい、と思っています。
「高校でやりたいこと」
Uさん
私は、大阪府立和泉高校グローバル科に合格しました。私がこの高校に入った理由は、英語が得意だからです。
しかし、合格発表後の説明会で、先生が「グローバル科だからだといって英語だけできてもダメです。すべての教科をがんばらないといけません」とおっしゃっていました。だから、私は高校生になったら、英語だけでなく、私のもう一つの得意教科である社会を中心に、すべての教科を並立して、頑張っていきたいと思います。そのためには、日々の予習・復習が大切だと思います。
学び舎では、分からない所は久保先生にくわしく教えていただきました。高校でも、分からないと思った所はすぐ先生に聞こうと思います。
もう一つやりたいことがあります。それは、友達をたくさんつくることです。今年、私の中学校から和泉高校に行くのは私一人なので、新しい友達をたくさんつくりたいと思います。
「学び舎での3年間」
Yさん
私は学び舎に通って本当に良かったと思っています。学び舎では、礼儀や勉強することの大切さなどいろいろなことを学びました。
私は勉強が好きではなかったのですが、学び舎に通い始めて勉強がだんだん好きになりました。
中学3年生になって、いよいよ受験モードになってきました。でも、受験勉強をすることは、そんなに大変なことではないだろうと思っていました。
9月に五ツ木の模擬テストを初めて受けました。志望校がC判定と出たときに焦り出しました。11月に受けた五ツ木の模擬テストの判定は、Dでした。その結果を見たとき、悔しくてたまりませんでした。
そのときから、私は以前よりもっと必死に勉強し始めました。学び舎に頻繁に自習に行くようになりました。学校でも休み時間に、先生に分からないところを質問しました。やることは全てやりました。最後まであきらめずに頑張り続けました。そして、前期入試で志望校に見事合格することができました。
私は、学び舎での3年間で、「努力をすれば報われるということ」を学ぶことができました。
みなさん、これからも努力し続けてください。
先生、3年間ありがとうございました。
東大生からのメッセージ
学び舎の思い出
私は今から10年ほど前、小学2年のときに週2回と決めて学び舎に通い始めました。現在の学び舎の教室がちょうど新築されたばかりで、心地よい木の香りで教室が満たされていたのを覚えています。
教室に足を踏み入れた瞬間、そこに学問の地平が広がっているのを感じました。もちろん、幹線道路のようなものはありません。わずかに、いくつかの曲がりくねった小道が見受けられるのみです。しかし、私自身も自分の足でその道をたどることに大きな喜びを感じました。特に目的地があったわけではありません。ただ、道端に咲く小さな花を集めるのに必死でした。そうしているうちに、周りに池があり、小川が流れ、丘があることに気付きました。どれもこれも新鮮で、私はいろいろなところを散策しました。小川に行くとたくさんの魚が群れ、丘を登ると遠くに山の連なりを認めることができました。清らかな流れを泳いでいる魚を捕まえたい、向こうのあの山を登ってみたいという気持ちが起こるのです。
私の勉強の仕方は、こんな感じでした。それは、今でも変わりません。強制されて勉強するのは嫌ですし、みんなと同じようにするのも好みません。ただ自分ひとりで、好きなことを学んでいくのです。
何か新しいことを知ると、より深く知りたい、もっと広く学びたいという欲求が出てきます。目の前に小道があれば、もっと先へ進みたいと思います。小道を歩いていると、ふとした時に広大な展望が開け、今まで自分が歩いてきた道、そしてこれから歩むべき道が見えるようになります。
思索の泉
思索の泉と言うと大げさでしょうか。しかし、学び舎は、私にとってまさに思索の泉と言うべきところでした。誰からも束縛されず、自分の気の向くままに学べる環境。そこには、美しい泉がありました。こんこんと湧き出る清い水にひかれ、私も一口飲みました。その瞬間に気が付きました。昆虫採集や山登り以外にも、わくわくすることがあったのです。
私は、算数と国語から学び始めました。
算数は、計算の規則さえつかめれば、どんな問題でも、いとも簡単に解けてしまいます。自分でも図形の特徴、例えば辺の数と面の数の関係などを考えたりしました。そして、ページをめくっているうちに自分の発見した規則が定理として掲げられているのを見て非常に興奮しました。なんだか、数学者になったようで、ひとつ賢くなったように感じました。
国語も楽しかったです。詩を読み始めるといつの間にか私の目前には、そこに語られた情景が浮かび上がり、自分も哀歓を感じることができました。随筆を読むと難解な言葉に出くわしたりしましたが、自分で噛み砕いて吸収することに努めました。
学び舎にはゆったりとした時間が流れています。晴れた日に、小鳥のさえずりを聴きながら、秋の夜に、虫の美しい演奏に耳を傾けながら学ぶことができました。学び舎では、点数、順位評価は一切されず、制限時間なども一切設けられていませんでした。宿題も自分で決めてやっていました。そうだからこそ、じっくりと考えて取り組むことができました。私の中にも泉が湧いてきたのです。
春の訪れ
春は、動き出す時期、新しいものが生まれる時期です。
英語では、春のことをspring(スプリング)といいます。面白いことに、springにはいくつもの意味があります。手元の辞書を引いてみると、①春、②ばね、③泉、④跳びはねることなどが列挙されています。いま、名詞ばかりをあげましたが、動詞では、①はじける、②急成長するなどがあります。
今月から、学び舎で学習を始めたという方も多いと思います。何か新しいことを始めるのは、よいことです。新たな環境に身を置くことで、今まで埋もれていた芽が姿を現すかもしれません。ぜひとも、その芽をのびのびと伸ばしてください。見栄えばかりを気にして、薬品をふりかけてはいけません。早く伸びるように化学肥料を与えるのもよくありません。大事なのは、自分の力で成長することです。地中深く耕すのです。日当たりのよい環境さえあれば、芽はおのずから成長します。
ここで重視しなければならないことは、見た目でもなければ、背丈でもなく、果実の大きさや数でもありません。木ならたくさんの鳥や虫たちが喜んで住めるもの、野菜なら誰もがおいしいと思えるもの、花であるならチョウが多く集まるものが良いのです。いわば、命であふれているものがいいのです。 勉強も同じだと思います。点数や評価はもちろん大事ですが、それだけでは味気ない。未知なるものを知りたい、学びたいという思いで「生きた勉強」を心がけてください。