学力・意志・自分を磨く
学び舎通信 152
学力を伸ばすために
子どもをほめるときは、具体的に達成した内容を挙げます。例えば、「今日は1時間も勉強できたのね」と実際に子どもができた内容をほめます。そういうふうにほめられると、子どもはもっと頑張って、難しいことにも挑戦しようとします。
テレビやゲームなどに子守りをさせてはいけません。テレビ・ゲーム・パソコン・携帯電話などに使う合計時間が1日1時間くらいまでなら、ほとんど問題はありません。2時間以上だと、学習時間などへのマイナスの影響が大きくなります。
「勉強しなさい」と言うのは逆効果になります。効果的なのは、親が自分の時間を犠牲にして子どもの勉強を見ていたり、勉強する時間を決めて守らせていたり、手間暇のかかるかかわりをすることです。
私は子どもに「勉強しなさい」と言ったことは、一度もありません。子どもにゲーム機を与えませんでしたし、テレビの番組を制限しました。パソコンと携帯電話を与えたのは、高校の入学が決まってからでした。子どもがすくすく育つには、モノを与えることではなく、親の愛情やしっかりした心組みが大切であると考えたからです。息子は、灘高校に入学したとき、「自分と同じような家庭環境で育てられた人に初めて出会えた」と言っていました。
意志を強くするために
本当の頭の良さというものは、まず意志の強さを問題にすべきです。自分の力だけに頼って生きてゆこうとする意志の有無によって、頭の良し悪しが大きく分かれます。
自立する力は、「自分が弱い人間であることを承知の上で、強い人間を目指して果敢に奮闘すること」で培うことができます。「自力でこの過酷な世の中を生き抜いてみせる」という強い心組みをしっかりと持てるかどうかにすべてがかかっています。
楽に生きられる世の中ではありません。歴史を学べば、そんな時代がこれまでに一度たりともあったことはないことがわかります。そして、これからも楽に生きられる時代はおそらくないでしょう。
山を歩いていると、リスやウサギやサルやイノシシやシカやクマなどに出会うことがあります。野生の生き物たちは、あふれるほどの自由を満喫し、たえず溌剌とし、きらきら輝いています。苛酷な自然の中で生きる動物は、どうしてあれほどまでに生き生きと生きていられるのでしょうか。
野生に生きるものたちは、生まれてから死ぬまで絶え間なく危険にさらされています。数々の危険に立ち向かいながら満ち足りた生活をしています。きっと緊張した生活を楽しめる習慣を身につけているのでしょう。野生動物の寿命は人間よりも短いですが、中身の濃さは人間の数倍でしょう。
神々しいまでに輝いている野生動物から、「自分の力を頼りにこの世を生き抜くことが、生の本質なのだ」と教えられます。
自分を磨くために
五十数年間この世に生きてみて、絶体絶命、孤立無援、四面楚歌、万事休す、といった窮地のなかにこそ、生の核心が秘められていることを感じます。苦しいときに必死になって頑張ることにこそ、正真正銘の感動が隠されていることがわかりました。
あらゆる困難や苦難に対抗することに生きることの価値があり、力の限り生きる者の役割を演じることに価値があることを悟りました。「自己依存」が生きることの究極の目的であることを知りました。
自分を磨くために、自分の身の周りを不必要な物で飾らないほうがいいです。勉強部屋には余計な物を置かない方がいいです。勉強に不必要な物が視野に入ったとき、癒される気分にはなるかもしれませんが、集中力が鈍り、勉強しようという気持ちがへなへなとなってしまい、精神を元の状態に戻すのにかなりの時間を無駄にしてしまうからです。
勉強部屋は無用な物を省き、シンプルにしておくことが肝心です。勉強に徹したいと本気で願うのなら、勉強に直接関係する本のみに絞るべきです。
自分を甘やかさず、何が待ち構えているかわからない前途に果敢に挑んでゆくという厳しい姿勢を取らなければ、自分の望む高い目標を達成することはできません。自分を良く変えるのは難しいです。本当に変わるためには、他人の何倍も自分にトレーニングを課さなければなりません。 「自分の人生を生きるのに誰に遠慮が要るものか」という気持ちで、正々堂々と精いっぱい生きるといいと思います。