学ぶ意欲を育てるには 天から授かったいのちを育てる
学び舎通信 79
解き方を覚える
あるところに将棋の好きな男の子がいました。その子は、将棋のエリート養成コースである奨励会に入っていました。しかし、残念ながらプロの棋士(碁・将棋をすることを職業とする人)にはなれず、中学時代まで将棋一筋でまったく学校の勉強をしなかったことが災いして、学力レベルの最も低い公立高校に入学することになりました。
あるとき、彼は「数学は解法パターンを暗記すれば解ける」という受験勉強の本を読みました。その本に書いてあることを読んでいると、棋譜(碁・将棋の対局の手順を示す図面)のパターンを膨大に覚えて、それをもとにあれこれと推論することで次の手を決めていく将棋と、暗記数学のやり方がそっくりだということに気づきました。
このやり方なら、これまでろくに数学の問題を解いてこなかった自分でもできるのではないかと考えて数学に取り組んだところ、めきめき成績が伸び、同じ方法で物理もできるようになりました。英・数・理科(2科目)で受験できる早稲田大学の理工学部に、その学校創設以来、初めて合格しました。このまま勉強したらもっと伸びるだろうと考えた彼は、さらに1年浪人して国語と英語を勉強し、東京大学にやはり開校以来初の合格を果たしました。
学ぶ意欲を育てるには
「基本的な『行儀』を身に付けさせることや、勉強を好きにさせて『基礎学力』を身に付けさせることは親の責任です」とWさんは言います。「子どもの人生に対する責任は親が負う、ちゃんと育て上げるという気合いが子育てには絶対に必要だと思います」
今から約30年前、Wさんの長男は東京大学医学部に、次男は東京大学法学部に入学しました。
Wさんは家庭でどのように子どもに接していたのでしょうか。
子どもが勉強している間は、テレビは見ない
Wさんは子どもが勉強している間は、テレビは見ないと決めていました。
「『勉強しなさい』とは言いませんでしたが、テストの結果が悪かったときには『やるべきことをしていないから、これだけしか点が取れなかったんでしょう』などと、厳しいことも言っていました。そう言いながら私だけテレビを見ていたのでは、子どもはどう思うでしょう。命令だけして、親はいい気なものだと思って、あまり頑張ろうという気持ちにならないのではないでしょうか。逆に、親が自分の楽しみを我慢しているとわかると、『一緒に頑張っているんだ』と、励みに思うようです」
食事は子どもにとってもっとも大事なもの
日本の食生活が変わってきたのは、1970年頃からです。レトルト食品・冷凍食品・インスタントラーメンがつぎつぎに発売されましたが、Wさんは料理に手を抜きませんでした。「食事はしつけと並ぶ教育の基本ですから、まずきちんとしたものをきちんと食べさせなくてはいけない」と考えたからです。
「弁当にしても、朝食や夕食にしても、ここは踏ん張りどころ(せいいっぱいがんばる)だと思っていました。親が自分の仕事で手を抜いていては、『自分のやるべきことを一生懸命やる』ということの大切さが子どもに伝わりません」
Wさんは、「子どもを勉強させる前にまず親が料理の勉強をしたほうがいい」と言います。
「今はいくらだって手を抜こうと思えば抜ける時代ですから、それだけにきちんとした食事を作り続けることは大変です。でも黙っていては、親が食事を作るのは当然だと思ってしまうでしょうから、いかにそれが大変なことか、どんな工夫をしているのかを話してやればいいと思います」
親は言葉だけでなく、行動で示さないと子どもはついてこない
子育てより自分の都合を優先する親が多くなってきていると新聞で読んだことがあります。「借りてきた映画のDVDの返却期限なので、今日中に見なきゃいけない。だから夕食はレンジでチン」と当たり前のように言う人が増えてきているそうです。
Wさんはこう言います。
「親が禁欲的でないと、子どもも自分の欲望や欲求を抑えることができません。我慢のできない子どもが増えているのも、結局のところ、自分の都合や欲望を、権利として主張する大人が増えたからだと思います。
子どもが言うことを聞かない、だらしないと言う前に、親が自分の都合や欲求で、手を抜いていないかと振り返ってみてはどうでしょう。
子どもには勉強ができるようになって欲しい。でも自分の人生も楽しくやりたい。そんな虫のいいことを考えている親が多いのではないかと思います。
しつけでも勉強でも、子どもに厳しくするのなら、自分もしっかり律しないと子どもは納得しません。最近は、他人には厳しく自分に甘い大人が増えているような気がしてなりません。子どもには勉強させておいて、親がテレビを見ているようでは、子どものやる気を削ぐだけですし、親の言葉に説得力がなくなります。
親が我慢しているのだという姿勢を見せると、子どもも本能的に耐えることを覚えます。
昔は『子どもは親の後ろ姿で学ぶ』と言ったものです。職人など、家業を学ぶという意味もありましたが、それ以上に子どもは自分の律し方やものごとへの取り組み方を、親の態度から学んだわけです。つまり、行動で示すことが大事なんです」
天から授かったいのちを育てる
Hさんの長男は慶應義塾大学文学部からロンドン大学医学部へ、長女は慶應義塾大学文学部からロンドン大学美術学校本科へ進みました。
静かに暮らす家族の時間
「私の考えでは、子どもは日常生活の中で自分に注がれている愛情と視線が十分だと思っていると、必然的に満ち足りた思いの中で育つために、そんなに物をねだらない子どもになるように思います。けれども、自分に対する親の愛情が何か足りないと思うと、その不満足・欲求不満の分を、何かに置き換えて補おうとするため、あれが欲しいこれが欲しいと言うのではないかと思います。
すこし大げさに言えば、子育ては、天に対する責任だと思います。天から授かった子どもといういのち、それを育てて一人前にして世の中へ送り出すまでは親の責任です。それを遊び呆けて怠けている親は、無責任のそしりを免れません。
親が仕事から解放される休日というものは、親子関係のためにとても大切です。ともかく何かにあくせくするのではなくて、じっくり静かに暮らす。それが大切なことですが、日本人はこの静かな時間を過ごすということがもっとも苦手なんですね。休日は、疲れた神経と肉体を回復するために、特に何もしないで、静かに本を読んだり、音楽を聴いたり、散歩したり、おしゃべりしたり、料理を作ったり、そういう日常の『生活』をできるだけ濃密に親子で共有する時間として使いたい」とHさんは語ります。
テレビゲームは子どもの理性をマヒさせる
あるとき、Hさんのお母さんが孫(Hさんの子どもたち)にテレビゲームを買い与えました。
「どう考えてもテレビゲームは子どもの脳みそに対して良い影響があるとは思えません。あれをやっている間、子どもたちはだんだんとゲームの中へ吸い寄せられていくのが分かります。瞳はうつろになって、ひたすら画面に集中し、すべての思考はテレビ画面によって停止させられているのが明らかです。1時間だけね、と約束させたところで、いったんゲームを始めると2時間でも3時間でもテレビゲームにかじりついていて、どう見ても脳の発達に悪い影響があるように思われました。私は、半年ぐらい経った時に、断固としてテレビゲームを禁止してしまいまた。ハードもソフトも全部、子どもたちの手の届かない場所へ隠してしまいました。どうしても望ましくないと思う事柄については、親の責任においてそれを禁止するという強権発動も必要です。しかも好ましくないと思う理由をよく話して聞かせる。そういうふうに親が主体的に考えて、子どもたちに我慢させることも時には必要ではありますまいか」
家庭内に図書室のある暮らし
Hさんの家にはたくさんの本があります。
「私どもは子どもに余分なお金を与えないという主義です。家の中にこれだけ圧倒的に本が充満していると、子どもたちは実質的に図書館に住んでいるようなものです。このことには相当に意味があります。そうすると、本というものに対して自然と親しみが出てきます。ともかく読書をしたいと思った時身近に本があるということが大切なのです。こうした環境は、子どもにとってもきっとよいことであったと思っています。親が読んだ本がずっと集積して置いてあれば、子どもが大人になった時に、それが自ずから読書環境を提供するに違いありません。こうなると親自身がどのように豊かな読書生活を送ってきたかという履歴が、すなわちその家の読書環境の善し悪しを決定するのであって、親が古典や文学などあるレベルの本を読んで書棚に並べて置けば、読書年齢に達した子どものインテリジェンス(知性)に強く訴えるものがあるに違いありません」