学び舎で過ごした日々 学ぶことは磨くこと
学ぶことは磨くこと
新しいことを知る。
今まで出来なかったことができるようになる。このような時は、ものすごくわくわくしてきませんか?
私は、幼少のころから知ること、学ぶことが大好きでした。
見るもの聞くものすべてが新しく、日に日に自分の成長を感じていました。とくに夢中になっていたのは図鑑です。毎日のように野外へ遊びに出かけ、実際に図鑑と同じ生き物を発見した時の喜び。そして、手に入れた生き物を育てていくときの高揚感。一日一日が好奇心と喜びで満ち溢れていました。
玉琢けば当に器を成す。
人學ばざれば道を知らず。
という言葉があります。
「きらきら光る宝石のヒスイも泥がついたままの原石は単なる石の塊に過ぎない。しかし、泥を落とし、石を彫って磨けば立派な器になる。同様に、人間も日ごろからいろいろなことに興味を持って学び続けないと、生きる道を知ることができない」という意味です。
生きる道というと大げさに聞こえるかもしれませんが、学んだことや身につけたことはそのまま自分に生かされていきます。みなさんはまさに宝の原石です。ただ、これをそのままに放ったらかしにしておくと、錆びついてしまいます。気づいたときには、もう手遅れかもしれません。あるいは、周りに転がっているありふれた石ころに紛れ込んでしまって見失うかもしれません。学ぶ努力を続けることで、輝くものがあります。
経験は宝物
経験したことは、間違いなく自分だけの宝物です。
経験はお金やモノとは違って、無くなることはありません。他人と比べたりすることもできません。とりわけ子ども時代の想い出は大人になってからもずっと光り続けています。その灯りが自分の進むべき道を示してくれるのです。ですから、できるだけたくさんの豊かな経験をしてください。豊かな経験というのは、一つひとつのことに全力で取り組むことです。そして、そこから多くのことを学ぶことで形成されていきます。一生懸命に真剣に取り組んだ経験は必ず、あなたを支えます。
学び舎で過ごした日々
私は、学びの基礎をこの学び舎で身につけました。
曜日を決めて通い始めたのは小学2年生の頃です。他に習い事をしていなかったため、学び舎に行かない日はずっと野外で虫を追いかけて遊んでいました。1週間という枠組みの中で、学習と外遊びの2つがリズムよく回っていました。学び舎での学習を続けているうちに、自分の世界がどんどん広がっていくことに気づきました。これが、勉強にのめり込むようになった第一歩です。学べば学ぶほど、周りの世界への理解が増していき、ものの見方も多様化していくことに気づきました。
周りの世界がどう動いているのかを理解するには社会の学習が役に立ちました。子どもの世界とは全く違った次元で働いている大人たちには関心と期待で溢れていました。私が最も好きな自然への理解を深めるには理科が役に立ちました。天体や植物、昆虫などは図鑑でしか学んでいませんでしたが、わかりやすくまとめられた教材を学習することで、以前と異なる視点から眺めることができました。算数は直接触れない数字を使った魔法のようで不思議な感じを抱いていました。
けれども、いま紹介したことは別に学び舎でなくても身につく能力です。
そこで、学び舎だからこそ得られたもの、もっと精神的なものを紹介します。
詩や古典を習うとします。普段使わない表現・言い回しがたくさん出てきます。そこで、詩や古典に溢れている感性を使って現実の世界を覗いてみるのです。すると、何でもないような夕焼けやそよ風が輝きを増して感じられませんか?身の周りのもの一つひとつが言葉を持って語りかけてくれているようにも感じられませんか?当然のことながら、詩人や古人と当時の私の感性には「ずれ」があります。その違いを自分なりに認識・理解して、取り込めそうなものは取り込んでいました。あまりピンとこないかもしれませんが、感性は自分のペースで学んでいかないと身につきません。他人を気にしてばかりの勉強では決して得られないことです。幼少期に膨大な数の詩や古典に触れた経験はものすごく活きていると感じています。
私は幸いにも、学び舎の良さを存分に活用して吸収することができました。そのおかげで、いまの自分が形づくられています。
ささやかな恩返しになればとの思いで、私が学んだこと感じていることをこの通信を通じて、皆さんに少しずつお伝えしていきます。