心を調えて、良心の声を聞く
善いことをする
自分のしたことは、良かれ悪しかれ自分の人生になります。ですから人間にとって一番大事なことは、「自分が何をするか」ということです。悪いことをしていると、心が汚れていきますが、善いことをしていると、心が清らかになっていきます。心が汚れるのも、清らかになるのも、自分の責任です。
自分の失敗を他人のせいにしてはいけません。失敗の原因を自分自身の中に探します。自分の失敗を癒やす薬は自分自身の中にあります。頑なにならなければ、それが発見できて晴れやかな心になれます。
自分の身に降りかかった辛いことや苦しいことに我慢します。自分に辛く当たる人を、「気の毒な人だな」と慈悲の心で思えば、怨みの心は生まれません。穏やかになって、悪いことは起こらなくなります。
他人をいじめたり苦しめたりする人は、自分自身に悪いことをしているのです。他人を助ける人は、自分自身に善いことをしているのです。人が一番幸せを感じるのは、他人の役に立つことをしているときです。人は誰かに何かをしてもらったときより、自分が誰かを助けてあげたときに喜びを感じます。
人は一生の中で、苦しいことも悲しいことも経験します。どんな時でも気持ちを高めてその境遇を楽しんでいれば、苦しみや悲しみを乗り越えることができて、楽しみや喜びを感じられるようになります。
心を調える
宮沢賢治はこんなことを書いています。「何が幸せかわからないです。どんな辛いことでもそれが正しい道を進む中での出来事なら、峠の上りも下りもみんな幸福に近づく一足ずつですから。一番の幸いに至るためのいろいろな悲しみもみんな思し召しです。この世にはいろいろな悲しみがあるけれど、それらはすべてほんとうの幸福になれるようにと、神さまがお考えになって、人間に与えられた試練なのです」。
大きな音ややかましい人の声がする所を離れて、
静かで心が落ち着く所にいましょう。情報が多すぎる生活はよくありません。情報に振り回されていると、自分を信じられなくなり自由な心をもてなくなって、掛け替えのない天賦を発揮できなくなります。
岩は風が吹いても動きません。賢い人は、褒められても謗られても動じません。徳の高い人は、目で見たり耳で聞いたりする様々な情報に振り回されずに、自分の心を調えて、するべきことをしています。
適度な食事をとり、適度な睡眠をとって、体を調え、呼吸を調えていると、心が安らかになります。
東洋医学で、精気が集まり気力を充実させる所を気海丹田と言います。気海丹田はお臍に手を当てて指4本分下のお腹の中にあります。ここに人間の中心があります。腰骨を立てて肩の上に耳があるようにすると、頭の重さが背骨と体全体にかかって、体がまっすぐな状態になり、意識が中心に集まります。
姿勢を正して、鼻の先に鳥の羽を置いてもそれが動かないような静かでなめらかな呼吸をすると、心が落ち着いて、一つのことに集中できます。
良心の声を聞く
言葉と思いと体を調えれば、安らかな心になれます。良い言葉を遣いましょう。良い思いを持ちましょう。体に悪いことをしないようにしましょう。
ありがとう。おかげさま。さすがです。お願いします。また会いましょう。いただきます。ごちそうさまでした。おはようございます。こんにちは。こんばんは。おつかれさまです。さようなら。自分の心が相手に伝わるように、良い言葉を声に出していると、毎日の生活が明るくなり生き生きしてきます。
剣道や柔道などの武道で、大切な心構えに残心があります。残心とは、行動を終えた後、力を緩めてくつろぎながらもまだしっかりと注意を払っている状態、気持ちが途切れていない状態のことです。日常生活では、ドアを静かに最後まで閉める、食器を静かに置く、静かに歩く、無用な音を立てないように、一つ一つの行動を丁寧にすることが大事です。
50年くらい前までは、子どもが悪いことをすると、「お天道様が観ているよ」と叱られました。「誰も見ていないだろうと思って悪いことをしても、人間のすることはすべて天の神様はお見通しなのだ」と教えられました。素直な子どもは、「誰も見ていなくても狡いことや正しくないことをしてはいけない、神様がいつも自分を見ているのだ」と思っていました。 「正しく行動しよう」と思う心を大切にしましょう。誰の心の中にも良心があります。我欲に目が眩んでいるときは良心に蓋がされていますが、自分だけの利益や満足を追い求める気持ちがなくなれば、心の中の神様の声が聞こえてくるはずです。