教師の役目 生きる知恵と力
教師の役目
優れた親や教師は、子どもに勉強を強制しません。子どもが自分の頭で考え、物事の原理に気付き、理解が深まるまで、「もっと学びたい」という意欲が湧いてくるように、やさしく、そっと導きます。
教師の役目で大切なのは、教科の情報や知識を教えることではありません。まず、子どもに興味を持たせること、そして、学ぶ意欲を育てることです。子どもが「先生から教わった」という意識を持つのではなく、「自分で気づいた」と感じることです。
成績を付け、格付けして、得点の高い生徒を報奨し、得点の低い生徒を叱責するというのは毒のようなものです。生徒に順位を競わせる指導は、一時的に得点を上げるためには有効ですが、そういう無理は長続きしません。子どもの心身がどこかで壊れ始めます。優劣を競わせるのは「促成栽培」です。効果はすぐに出るかもしれませんが、本当に力がついたわけではありません。学びに「促成栽培」はあり得ません。子どもが自分の知的限界を本当に超えるには、時間がかかります。子どもの学びへの意欲が起動するまで、教師は長い時間待たなければなりません。
「子ども一人ひとりの生きる知恵と力を育てるために教育している」という認識が必要です。一人ひとりの生きる知恵と力を高めるためには、他人と比べて優劣を競争することに何の意味もありません。
生きる知恵と力
子どもが学校で身につける能力は、学校を出てから役立つものでなければ意味がありません。
大人になれば、自分と考え方が違う人たちとコラボレーションをする必要があります。共同作業で必要なのは、交渉力、調停力、胆力、共感力、想像力など汎用性の高い知的能力です。これらの能力が、子どもに必要な生きる知恵と力です。
「昨日の自分」と比べて「今日の自分」がどう変わったか、自分自身を観察します。他人と勝負を争ったり、強い弱いにこだわったり、相対的な優劣にこだわったりすることは、自分の力を高めていく上で邪魔になります。勝てば慢心するし、負けたら落ち込む。そんなことは学ぶことにとって何の意味もありません。毎日淡々と、呼吸するように、食事をしたり、眠ったりするように、学ぶことが大切です。
勝敗を争い、強弱を競うために学ぶのではありません。生きる知恵と力を最大化し、「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」人間になることが学びの目的です。教室で学ぶのは、強弱や優劣を他人と競うためではなく、そこで自分の潜在能力を最大化する方法を会得するためです。
教室は楽屋です。教室から一歩外に出たところが本番の舞台です。教室の外に自分の現実の生活があります。そこが真剣勝負の場です。そこで正しく振る舞うための心と頭と身体の使い方を教室で身につけるのです。生きる知恵と力はどうすれば最大化できるか、その課題を自分で考える実験室が教室です。現実で生かすために、教室での学びがあるのです。
心と直感に従う勇気
今年のノーベル物理学賞の受賞が決まった真鍋淑郎さんは、「好奇心が研究を支えた」と言います。「最も面白い研究とは、好奇心が原動力になった研究だ。好奇心を満たす研究をやる。それが成功のもとになる。私は研究を心から楽しんでいたし、ただ好奇心が私の研究を駆り立てた。若い人ははやりの研究に走らず、好奇心に基づいた研究をしてほしい」。
スティーヴ・ジョブズはスタンフォード大学の卒業式(2005)で、“Most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become.”「最も重要なのはあなたの心と直感に従う勇気を持つことである。あなたの心と直感はなぜかあなたが本当に何になりたいのかをすでに知っているからである。」と語りました。本当に大切なのは「心と直感」ではなく、「心と直感に従う勇気」であると言っています。真鍋さんには、「心と直感に従う勇気」がありました。だから地道な研究を続けられたのです。
多くの人は、自分の心と直感が「この方向に進め」と示唆しても、恐怖心で尻込みしてしまいます。それを乗り越えるためには、「勇気」が要るのです。
生きるためには、恐怖心で躊躇することよりも「勇気」を持って行動することのほうが重要です。
私たち一人ひとりには、どんなとき、どんな場所でも、自分にできること、自分にしかできないことがあります。その場にいる誰もできないことが、自分にだけはできるということがあります。「勇気」を持ってそれをするのです。