楽しんで学ぶために
楽しんで取り組む
学習に限った話ではありませんが、何事も楽しんで取り組んだ方が上達は早いですし、得られるものも多くなります。
孔子の『論語』に
“之を知る者は、之を好む者に如かず、之を好む者は、之を楽しむ者に如かず”
という言葉があります。
“物事をただ知っている人はそれを好んでいる人に及ばない。物事を好んでいる人はそれを心から楽しんでいる人には及ばない”という意味です。つまり、楽しんで取り組みなさいということです。
小学・中学時代の私は学ぶ(=新しいことを知る)ことが楽しくて仕方ありませんでした。
自分が目にしたもの耳にしたもの触れたものすべてが新鮮でした。日々、私の心は驚きと興奮で満たされていました。手に入れた知識は(ほとんどが新しく知ることばかりだったため)膨大なものでしたが、脳の栄養になりました。知識が増えれば増えるほど自分の世界が広がっていくように感じられました。
とりわけ興味をひかれたのは生き物でした。
図鑑や本などで知った事柄を確かめるために、野や山に出かけました。小さな生き物や植物など家に持ち帰って育てたりもしました。こうして、実体験からも学ぶことは多かったです。このような環境で過ごすことが出来たのは幸せだったと思います。
自分が今まで知らなかったことに気づいたり、何か発見したり…、一日一日が楽しみに溢れていました。
予習に力を入れる
私は幼い頃から先取り学習をしていました。
親から指図を受けた記憶はなく、問題集を解き終わるたびに次の新しい問題集を買ってきてくれたので、ひたすら解いていました。この頃は、一つの問題集を終わらせるという達成感や充足感が大きな原動力になっていたと思います。
小2の頃から学び舎の教室で勉強し始めました。
最初は週2回でしたが、外で遊ばない日には毎日のように通い始め、しまいには夜も行ってました。私はゲームは一切せず、テレビを見る習慣もありませんでした。野遊びをしないときは飼育している虫や魚の世話を見るか勉強するかのどちらかが多かったと思います。そのため自然と勉強に充てる時間は増えたのでしょう。
小4くらいになると小学校で習うことはすべて終わっていました。
これ以降はやることが無くなったので、親に中学受験用の教材を買ってもらって解いていきました。一歩踏み込んだことまで学習できたのでいい刺激になりました。
中学生になってからも自分の予習癖は続きます。
中3の時点で数学は高2まで英語は大学入試内容まで勉強していました。教材は父が選んだものに加え、自分でもいいと思ったものを解いていました。
予習のいいところは、授業の内容が頭に入りやすいことです。
自分が疑問に思っていること、理解できていない所を重点的に聞くこともできます。授業は復習がてら聞いていましたが、こそこそと予習を進めていることもありました。中学時代は、毎回宿題で出される問題集を予習用にして解いていましたので、宿題はせずに済みました。一日に何ページくらい進むか目標を決めて、計画的に勉強していました。
楽しんで学ぶために
なかには、勉強に苦手意識を抱いている人もいるかもしれません。おそらくそういった人たちは真剣に学んだことがないのでしょう。学ぶことの奥深さに気づかないまま、表層をちらっと見ただけで避けてしまっているのかもしれません。
本気で学んでもいないのに、勉強は嫌だとか向いていないというのは食わず嫌いしているだけです。
周りに宝がゴロゴロと転がっているにも関わらず、その宝が泥をかぶっていたり、土に埋もれているだけで気づかないのと同じです。手を伸ばしてサッと表面の泥をさらってやるだけでいいのです。その少しの努力・積極性が宝の発見につながります。そして、あなたがその宝の美しさや価値に気づいたとき、さらに他にも宝を探してみたいと感じたとき、目の前の靄は取れて見通しが良くなっていることでしょう。
勉強も同じです。
少し背伸びして、先取り学習を始めてみませんか?予習は人に言われてするものではなく、完全に自発的なものです。自分の学習意欲がそのまま現れます。前向きに取り組んでみると途端に視界が開きます。一気に楽しくなってきて、のめり込んでいるに違いありません。